この気持ちは好きから遠い

 

 

 

きみがみせてくれる夢を、夢として、わたしのひかりとして、ずっとみていたかった。

 

 

 

新しいお仕事が決まるたびに、その日々を過ごしていくたびに、どこまでも大きくなれるきみがすきで、きみを応援できることが、だれか他の人が思っているよりも、遥かにしあわせだった。

 

 

きみが此れまでに進んできた道は本当に綺麗で、一途なその意思とか、悔しい出来事への不恰好な感情とか、流動する世界への情緒とか、その全てが酷くかがやいてみえた。

その儚いきらめきに、わたしの世界はたしかに照らされていたし、何度もなんども助けられてきた。

 

わたしは、きみの引力に惹かれることで、たくさんの素敵な希望に出会えたんだよ。

 

 

 

だけど、きみを知ってからわたしは弱くなって、脆くなって、汚くなった気がしてる。

 

 

きみを知ってから、というよりも、きっとむかしからわたしはこうだったけれど、きみが夢を抱いて、歩き続けている姿が、わたしのすべての何処にも重なってくれなかった。

 

きみの背中が遠いのは、ただきみの歩幅が大きいからじゃなくて、わたしがおなじ場所で滞留し続けているせいだと気づいてしまったから。

 

 

ジャニーズは、アイドルは、芸能という娯楽は、存在も定義も曖昧で、絶対、という言葉から果てしなくとおい世界。その世界で息をしつづけることの大変さも、きみが積み重ねてきた努力も、目にみえないことがつらい。

身体が怠い日の37.4℃も、少し肌寒い朝の16℃も、測れば数列として形を得られるから安心できるんだ。

 

きみがどれくらいがんばっていて、どれほどつらいのかも、たのしいのかも、わたしにはわからない。

わからないように、きみが生きているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

きみの本当が、わたしにだけみえないのかもしれない。

どれも不確かで、計り知れないということだけが確かにあって、それは永遠なんだ。

 

 

 

きみがみている景色をみたい、その空気を肌で感じて網膜に焼き付けて気持ちを馳せたい。

 

 

だけどその景色は、きっと綺麗で、美しくて、きみを構成してきたすべてとして広がっているから、わたしの観ている景色とはあまりにも違って、苦しくなるとわかってる。

 

わたしが持っている価値観はありきたりで、よくあるものなのに、周りの人たちが上手く生きているようにみえる分、悲しくなった。

きみが持っている価値観は針の先で成り立つような不安定さなのに、きみは何故か確かなものを知っているみたいで、真っ直ぐ立っていられるのはどうしてですか。

 

じぶんのなかに目指すべき唯一があることが、わたしにはなくて、きみにはあるようにみえて、心の中がすっからかんになった。当たり前とか定説とか規則とか、わたしはちゃんと持っているのに、なんで杖がないと立てないんだろう。

 

どうして、きみを杖にしてしまうんだろう。

 

 

きみが近づく夢はわたしの夢とは違う。それなのにわたしまで進めたような錯覚をすることは恐ろしく傲慢で、狡いよ。ただずっと、きみをみていたい、理由はすきでいい。すきなんて平たい理由がいい。

 

わたしには、ないものばかりのきみだから、こんなにも惹かれているんだね。

 

 

 

わたしはきみが、羨ましかったんだ。