我儘を言わせて

 

 

 

 

 

わたしが瑞稀を好きになったとき、瑞稀は16歳の男の子だった。

 

 

当然だけど、16歳の瑞稀はもう何処を探しても見つからない。もう2度と、現れてもくれない。

ほんの少しだけ、あどけなさを残した横顔も、体躯も、仕草も、記憶や記録のなかだけの、過去になった。

 


そんな彼が、18歳になる。

 


18歳になれば出来ることが増える。車の免許も取れるし、選挙にも行ける。22時を過ぎても仕事は出来るし、結婚することだって出来る。世界はいまよりもずっと広がる、可能性だって、広がってゆく。

 


そんな世界に、足を踏み入れる前に。

 

想うことや、願うこと、わたしなりの文章で残せたらいい、そんな風に考えながら言葉を選ぶ。いまの気持ちを出来るだけ明度の高いままで、残しておきたい。

 

 

 


ずっと、瑞稀の横顔が好きでいる。

 

瑞稀の顔は、正面から観たときと横から観たときの印象がすごく違う。前から観ると比較的まるくて柔らかい顔立ちをしているのに、横から観ると堅い意志が色濃く現れているように、凛と映る。だからわたしは瑞稀の横顔がどうにも出来ないくらいに好き。本当のことを表している気がする、泣きたいくらい、そんな気がする。

 

 

俯いて歩きたい日もきっとある、本当は笑いたくない日も、何もかも放ってしまいたい日も。自分を切り売りする仕事が、それを許してくれなくても、笑うこと、踊ること、歌うこと、喋ること、「しなくちゃいけない」なんて義務感にどうか駆られませんように。

 

 

ありふれた18歳の日々を奪っていると分かってても、それを選んでくれたことを尊く思う。

部活をしたり寄り道したり、バイトをしたり恋をしたり、普通の18歳が何も気にせずに出来るそれだけのことも、きっと自由に出来ない世界。それでも、瑞稀を好きになって後悔したことがないのと同じように、瑞稀が飛び込んだ世界を後悔して欲しくないから。

 

だから、ありふれた18歳が生涯をかけても手に入れられないくらいの、とびきり大きな愛情をあげられたらいいな、そんなことを思う。

 

 

 


言葉より、行動を信じていられるのは、想像している以上に易しくなくて、簡単には真似できないこと。

 

 

真面目で、真っ直ぐで、良くも悪くも正しすぎる瑞稀は17歳の間に何歩も前に進んでて、その度に色んな感情をくれた。たくさんの色を塗り重ねて、割り切れない感情をくれた。この先、瑞稀より素敵な人に出会える自信、わたしにはありません。

時間を削ってるのは、瑞稀も、私も、同じだけど、失うことよりも得ることが天秤を下げるなら、この穏やかな依存がわたしの支え。

 

 

 

好きになってくれた人が混乱することはしない、瑞稀は途方もなくやさしい人。自分が貰ったものを、同じか、それ以上で返していこうとする、瑞稀の生き方が好き。

 

他人の機微に敏感で、見過ごさない強さを持っていて、そうすることを疑わないところ、瑞稀の愛される理由だと思う。

 

 

必要以上に周りを俯瞰で視ているような気がしてた。いつだって一歩引いたところから、瑞稀が持っている「正しい」の枠を外れないように感情を押し込んでいたように感じてた。それが少し前から、絡まった糸が解けるようにちょっとずつ、柔らかくなった気がすることが心の底からうれしい。居場所に、背負いすぎていた荷物を置けるようになったこと、それには大きな意味があると思う。もっと生きやすいように、生きていい。

 

 

 

温度を持った瞳を熱くするのは野心で、表面に出てくるまでに相当な努力が必要なこと、観ていて痛いくらい分かる。

 

 

1人で天井を指差した、あのはじまりの仮面舞踏会を観て、わたしは何度も泣いた。

 

わたしが好きな、顔をしてた。

張りつめた空気の中で、強張った肩、皺ひとつない純黒のタキシード、どこかを針で刺せば、ぐしゃりと崩れてしまいそうな、靭くて危うくて儚い顔。

 

 

永遠の夢が見たいと思った。はじめて、いつまでも好きでいたいと思った。

 

 

運命に似た気持ちをくれた17歳の男の子は18歳になって、少年の殻を脱ごうとしてる。瑞稀を好きじゃない、知りもしない日にはもう戻れない。大きく聴こえる心音も、速くなった脈拍も、元には戻らない。

 

 

2度と消せない想いを、この1年で溢れてしまうほどもらった。いつか瑞稀のことを観なくなっても、感情を白にすることは出来ない。

 

 

わたしの夢は瑞稀の夢が叶うこと、心から笑っていてもらうこと。幸せを、たくさん感じてもらうこと。

 

 

いつか溺れてしまいそうなくらいの赤い光で満たされた、煌めく舞台に立って欲しい。透き通ったガラス玉を嵌めた、瑞稀の丸い瞳が、やさしく細められるような、そんな瞬間を作りたい。

 

 

 

誰よりも美しい18歳を生きて下さい。瑞稀の周りが愛だけで、それだけでありますように。

 

 

 

 

( 2018.10.31 )

 

 

 

見逃した星たち

 

 

 

 

 

今年のオリオン座流星群のピークが昨日の夜中2時頃だったらしい。今朝のニュースで知ったんだけど。

 

もちろん寝てたし、もっと言うと夢をみてた。流星の代わりになるような吉夢ならよかったのに、残念ながら好きな人を眺めるだけのつまらない夢だった。

 

 

 

話が飛んだ。

 

好きな人を眺める夢がつまらない理由は簡単で、それは彼と発展する確率は低くゼロに近いから、とか、そういうのはどうでもよくて。

 

 

 

昨日の夜のオリオン座流星群は観測期間のなかでも当たり日で、月の光とか天候の条件に左右されながら巡ってくる、特別に綺麗に見える夜だったのに。

 

 

惜しいことをしたなあとおもった。月曜日は1週間でいちばん憂鬱だけど、授業はとっても楽だから。余計に。

 

 

 

自分が見逃してしまった景色を想って朝から気分が沈んだ、インスタのストーリーに苦手な先輩が流星群うんたらかんたら載せていたのも手伝って、もっと憂鬱になった。まだ19才の癖によくアルコールを摂取してると聞いたことがあった。きっと苦手じゃなく嫌いなんだと思って、こっそり認識を変えた。

 

けど、載せられていた写真にも当たり前の顔をして写り込んでいた飲酒の形跡をここまで嫌うのはわたしが、大学生にも19才にもなったことがないからだって思う。なったことがないものを、わかる方が変だよ。

 

 

昨日の夜にこの人が見てきた景色をわたしは知らない。

それがどれだけ勿体ないことなのか、それとも大したことないものなのか、そもそも先輩は熱心に空を睨んでいたのか、目的は友だちとお酒を飲むことだったんじゃないのか、それも全部、なにもかも知らない。

 

 

けど、少しでいいから知りたいと思う。

 

 

 

知らないことを知る、それがどれだけ意味を持っているのかは人それぞれの尺度・価値観だから1人ひとり違うけど、少なくともわたしの中には大きな存在として小さな頃からあって。

 

好意を寄せている人なら、事なら。もっと大きく作用して、引き寄せられて、手に負えなくなって。

 

 

 

あの子が好きな本を読みたいし、あの人が好きな歌を聴きたい。好きな人の好きなものを知りたい。

だけど経験上、そういうことをすると距離を取られるし、線を引かれる。ちゃんとわかってる。

 

好きなものが大切であるのは当たり前で、好きなものを大切にする方法はいくつもある。共有をする・しない、は多分わかりやすいけど、その共有の範囲まで考えると答えがぜんぜん出てこない。反応も予測できない。

 

 

こっそり教えてくれたと思い込んでいた秘密が本当は想像よりもずっと多くの人に回っていたと知ったとき、わたしだけじゃなかったのかとそんな風にそっと傷ついて、誰にも言えないで引きずったりして。

 

教えてくれた好きなものを好きになった、よろこんでくれると思って打ち明けると突然手のひらを返されて、わたしの方が前から好きだったのに、と、そんな呪いをかけられる。失敗してしまったって後悔するけど、当たり前に追いつけないもので。

 

 

そんな小さな小さな痛みを、重ねてきた。何回も何十回も、小さなかさぶたを作り変えてきた。

 

 

よくあることかもしれない、

 

それなのに道を避けることがどうしても出来ない。生きるのが下手だって自分でも思う。もっとうまく、いまより傷つかない道も頭のなかでは描けるのになあ。

 

 

敢えて、とか、そんな勇気ないのに。それでも、知りたいことには真っ直ぐ向かいたいと思うように出来てしまってた。

 

 

知覚することが生きがいなんじゃないかと思う。

 

自分のことを振り返って、客観視して、そうやってやっぱり、知ることに貪欲なんだと気づいた。

 

綺麗なものの名前を知っていたい、1日しか綻ばない花も、夏の大三角形がどの星で作られているのかも、真っ白な建物ばかりの外国の街並みも、透き通った海の青さも、留めておきたいと思う。

 

それだけじゃなくて。

目の前の人が何を考えているのか知りたい、その理由まで聞きたい、寄り添うことをしたい。

 

 

知って嫌われることがあっても、知って嫌うことはないのに。ほんと難しく出来てるよなあ。全部好きでいる自信がある、不恰好でいいのに、それでも好きなのに、伝わらないことの方が多いのが死ぬほどもどかしい。

 

 

 

預けられたい、んだ。わたしは、

 

 

 

けど、これ、たぶん気づいてる人いるだろうけど、ぜんぶ承認欲求の話。わたしの。

 

 

 

 

 

 

もしも昨日の夜起きてたら、星が流れる0.何秒に、わたし何か願えてたかなあ。

 

 

 

 

よい朝を、いとしいひと

 

 

 

 

という曲名がどうしようもないほど好き。

 

 

"よい朝を"のなかには、"いとしいひと"に対するあらゆる感情が詰まっているように感じるから。だから間に挟まる読点を、切実さだとわたしは受け取りたい。どうかあなたがよい朝を迎えますように、という、切実な祈りだと信じたい。

 

 

居なくなったあなたを想う歌。

 

そんな風に説明すれば途端に平たくなるこの歌は、新しい朝を歌う。あなたが迎えるであろう朝は、だれも体験したことがない真っ白な朝。その純白が純白であるような、よい朝を。いとしいあなたに訪れるようにと歌う。

 

 

 

どうして夜じゃ駄目なんだろう、よい夜を、だって、よい夢を、だって、変わらないなんて思うのは横暴かもしれないけど、でも願い事は夜にするのが定説じゃない?

そんな不思議を感じながら聴き続けたこの歌を、この朝を、どうしても知りたいと思ってしまった。

 

歌詞をなぞりながら何度も聴いた、この詞を書いたあの人の気持ちに重ねながら聴いた。人と距離を測るのが苦手、恥ずかしそうにインタビューで話してくれたあの人なりの、下手で歪んだ純粋な言葉。

 

 

 

“ ひとりには馴れるけど

  孤独では生きていけないから

  よい朝を、いとしいひと  ”

 

 

 

中盤に歌われるこのフレーズが、わたしに与えてくれた感情。それがきっと答えのひとつ。 

 

 

ひとりに馴れてしまうほど、なにかがいなくなって時間が過ぎてしまった夜に。ひとりと孤独が等しく結ばれるものではないと知る。

わたしのなかに孤独の定義はひとつだけあって、それは思いだすひとがいるかどうかなのだけど、それは側に誰かがいなくても考えている相手がいるなら、孤独ではないということ。

 

 

想起する、という行為は孤独を成り立たせないもの。想起する対象の存在は孤独の反対側にあって、2つはきっと交わらないまま平行して存在するもので。

 

だからわたしは、誰かを思い出せなくなったときにはじめて孤独を知るんだと思う。

 

思い出すことは、言い換えると忘れないこと。

忘れないように何度も思い出すし、刻み込む。それだけ必要に感じるものを未練や後悔で纏めてしまうのは勿体ない気がする。

 

大切な誰かを、なにかを、時間を、感触を、空気を、色を、忘れないように想起する時間は想像よりもずっと豊かだと思う。

涙が出るような激情じゃなくても、目が離せない絶景じゃなくても、息ができないくらい圧倒的な空気じゃなくてもいい。他人には測れない、自分のなかに残る大切を思い出せることは幸せだから。

 

 

 

朝を願うのは朝を迎えて欲しいから。わたしがいなくても変わらずに、朝を迎えて欲しいから。その1日のはじまりに、悲しい心でいて欲しくないから。

 

誰かの幸せも自分の幸せだとかそんなことが言いたいわけじゃないんだけど。そんな欲張りで狡いことが言いたいわけじゃないんだけど。

 

 

でもやっぱり、好きな人が幸せだと幸せなんだよな。

 

 

 

だからそんな心のままで。よい朝を、いとしいひと。

 

 

 

 

2人越しの街、東京のこと

 

 

 

 

晴天の迷いクジラ"を読んだ。

 

 

 

いつだって、窪美澄さんの文章は帰り道に見える明かりの灯らない自室に似た絶望で、その部屋に掛かるカーテンの隙間から入り込む朝陽の様な、そんな希望だった。

 

 

多分この本はきっと、死をみつめた人がもう1度現実と向き合う姿に感動する、そういう本だけど、わたしは違うところで目が離せなくなって、ページをめくった。

 

わたしは由人と野乃花越しに、東京をみた。

 

 

 

 

ソラナックスルボックス

 

第1章のタイトルは薬の名前だった。由人が自分を騙すために飲んでいた、抗うつ剤の名前。

 

家族や土地、空気、それら環境に喉を塞がれながら生きてきた高校生の由人は、父親に背中を押されて東京に流れ着いた。

 

"東京に行けばなにか見つかる"

 

父親はそう呟いて自由をあげた。由人を自由にしてやりたいと、足枷を外すことは救いだった。救いだと信じていた。

 

由人も、父親も。 わたしも。

 

 

 

「表現型の可塑性」

 

第2章、無抵抗のまま組み込まれた身分階層は、野乃花を小さな頃からずっと縛っていた。劣等感は他人から刷り込まれて、いつまでも残り続けるひとつだ。

 

親のために従うこと、子どものために促すこと。なにかに対して疑問を抱くという箇所が欠落して心が幼いままお母さんになった野乃花の居場所はどこにもなかった。

 

生物が、与えられた環境に適応すること、"表現型の可塑性"と呼ぶ。生まれ育った生臭いあの街を出て、野乃花の幸せは叶うはずだった。でも彼女には「適応する」ということができなかったのだ。

 

夜明け、逃げ出した先は東京だった。

 

 

 

東京、そこには何があるのだろう。

たった2,188 km²の世界に、何を求めているのだろう。

 

 

 

この本を最後まで読んだって、東京の唯一なんてみつからなかったし、由人が東京に何かを見つけたのかどうかも分からなかった。野乃花が東京で、救われたのかどうかさえ。

 

だけど東京は、頼りない人たちを世界に漂わせてくれる場所なんじゃないかと思った。

 

東京は水槽だ、海なんかじゃない。同じ温度で同じ色をした、変化のない場所だ。2人は此処で息をして、どこかに身を縛ることなく漂いながら生きてきた。

 

東京に行って変わる人を信じられないのは、その人に「自分」がないからだ。

 

 

「自分」を殺さないために東京に行く。

派手な見た目のくせに中身がすかすかの、安いソフトクリームみたいな街に行く。

その街の不器用な優しさに、「自分」を預けるために行く。

 

 

 

 

そんな場所ならいいな、と、思った。

 

 

 

 

この気持ちは好きから遠い

 

 

 

きみがみせてくれる夢を、夢として、わたしのひかりとして、ずっとみていたかった。

 

 

 

新しいお仕事が決まるたびに、その日々を過ごしていくたびに、どこまでも大きくなれるきみがすきで、きみを応援できることが、だれか他の人が思っているよりも、遥かにしあわせだった。

 

 

きみが此れまでに進んできた道は本当に綺麗で、一途なその意思とか、悔しい出来事への不恰好な感情とか、流動する世界への情緒とか、その全てが酷くかがやいてみえた。

その儚いきらめきに、わたしの世界はたしかに照らされていたし、何度もなんども助けられてきた。

 

わたしは、きみの引力に惹かれることで、たくさんの素敵な希望に出会えたんだよ。

 

 

 

だけど、きみを知ってからわたしは弱くなって、脆くなって、汚くなった気がしてる。

 

 

きみを知ってから、というよりも、きっとむかしからわたしはこうだったけれど、きみが夢を抱いて、歩き続けている姿が、わたしのすべての何処にも重なってくれなかった。

 

きみの背中が遠いのは、ただきみの歩幅が大きいからじゃなくて、わたしがおなじ場所で滞留し続けているせいだと気づいてしまったから。

 

 

ジャニーズは、アイドルは、芸能という娯楽は、存在も定義も曖昧で、絶対、という言葉から果てしなくとおい世界。その世界で息をしつづけることの大変さも、きみが積み重ねてきた努力も、目にみえないことがつらい。

身体が怠い日の37.4℃も、少し肌寒い朝の16℃も、測れば数列として形を得られるから安心できるんだ。

 

きみがどれくらいがんばっていて、どれほどつらいのかも、たのしいのかも、わたしにはわからない。

わからないように、きみが生きているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

きみの本当が、わたしにだけみえないのかもしれない。

どれも不確かで、計り知れないということだけが確かにあって、それは永遠なんだ。

 

 

 

きみがみている景色をみたい、その空気を肌で感じて網膜に焼き付けて気持ちを馳せたい。

 

 

だけどその景色は、きっと綺麗で、美しくて、きみを構成してきたすべてとして広がっているから、わたしの観ている景色とはあまりにも違って、苦しくなるとわかってる。

 

わたしが持っている価値観はありきたりで、よくあるものなのに、周りの人たちが上手く生きているようにみえる分、悲しくなった。

きみが持っている価値観は針の先で成り立つような不安定さなのに、きみは何故か確かなものを知っているみたいで、真っ直ぐ立っていられるのはどうしてですか。

 

じぶんのなかに目指すべき唯一があることが、わたしにはなくて、きみにはあるようにみえて、心の中がすっからかんになった。当たり前とか定説とか規則とか、わたしはちゃんと持っているのに、なんで杖がないと立てないんだろう。

 

どうして、きみを杖にしてしまうんだろう。

 

 

きみが近づく夢はわたしの夢とは違う。それなのにわたしまで進めたような錯覚をすることは恐ろしく傲慢で、狡いよ。ただずっと、きみをみていたい、理由はすきでいい。すきなんて平たい理由がいい。

 

わたしには、ないものばかりのきみだから、こんなにも惹かれているんだね。

 

 

 

わたしはきみが、羨ましかったんだ。